浅沼宏和ブログ

2020.12.09更新

現代哲学者のドゥルーズは現代は規律社会から管理社会へと移行したと述べています。規律社会とは工場、学校、軍隊等に代表される、人を空間的に集中させ、時間割や身体動作を統一することで管理しようとする社会のことです。ですから、「9時から5時まで」という働き方はまさしく規律社会に特有のものなのです。

これに対し、管理社会では労働者が空間的に集中する必要が無くなります。人は成果によって管理されるようになります。成果は企業の外部にあります。そして成果は量ではなく質によって評価されるものとなります。素晴らしい企画1本はつまらない企画100本に勝るからです。

質の高い仕事で評価されるためには労働者は、自分自身の能力を磨き上げなければなりません。管理社会では労働者は生涯にわたって学習しなければならないのです。仕事の質は顧客の基準によって評価されます。顧客によって基準は様々です。しかも、状況が変われば基準が動いていきます。このような不確実な状況で労働者が成果をあげるには学び続けなければならないのです。

こうした状況を「24時間働かせ続けられる」ものとする見方もあるでしょう。しかし、私たちは現状を制約条件と見て、その中で最大の満足を得られるように行動することが理にかなっていると考えます。これがハイブリッドワークライフの考え方です。仕事の場面だけではなくプライベートでも学び続ける、そのこと自体が生活に張りを持たせ生き生きとしたリズムをもたらす、こうしたビジネスパーソンとなることを理想としています。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.12.08更新

リンダ・グラットンの「ライフシフト」では人生100年時代にはライフステージが多様化(マルチステージ化)することがリスクであるとの説明がなされています。そして、長い人生の間に度々訪れるであろう変化に対応するための変身資産の重要性も指摘されました。変身資産とは、アイデンティティ、情報ネットワーク、自己認識です。これらの資産は現状に過剰適応することでリスクが高まることへの備えということになります。

こうした中で「生涯学習」という言葉が重要な意味を持つようになってきます。そもそも「学習」とは新たな思考スタイル・行動様式を身につけることを意味します。変化に対応するためには継続的な「学習」が不可欠です。それが生涯にわたって必要になるというコンセプトが「生涯学習」です。

一つのことを極めることも大切ですが、人生100年時代においては多様な学習が必要になります。例えば、ライフステージで考えてみると生まれてから職業につくまでは家庭教育、学校教育による学習が多くを占めるでしょう。それは社会で生き抜いていくための基礎的な能力を身につける時期であると言えます。そして、職に就くと仕事上の成果をあげるために様々なことを学び身につけていきます。

最初は右も左もわからずに上司や先輩に叱られていた若者が数年もたつと立派に仕事の場で成果を収めるようになるのです。従来の仕事の学びの常識では、そうしてできた基礎の延長戦上で学びを続けていくというものでした。要するに「経験」を積むということです。ところが、ライフシフトの時代にあってはこの「経験」が変化を妨げるリスクとなるのです。

では、どうしたらこの「経験」というリスクに対処できるのでしょうか。それが現代的な意味での「生涯学習」という視点なのです。ドラッカーは19世紀までの社会と現代との大きな違いの一つとして「19世紀までは18歳までに身につけた技能で一生食べていくことができた。だが、現代ではそうはいかない」と言った趣旨のことを述べて、生涯学習の重要性をいち早く主張していました。

ドラッカーは社会を生き抜くには成果をあげること、つまり成果能力を持つことが大事であると考えていましたが、その成果能力は油断すると失われてしまうものであると考えていました。なぜなら、成果能力とは様々な社会的前提条件によって価値を認められる能力だからです。電卓が登場すればソロバンの価値が薄れ、エクセルが登場すれば電卓の価値が薄れる時代にソロバンの技能しか持たない人がどうなるかは一目瞭然でしょう。そして、現在ではPCが扱えること自体が当たり前の時代になっているのです。こうした状況で次に身につけるべき能力は何になるのでしょうか。

生涯学習にはこうした問いに自ら答え、自ら学ぶ対象を選ぶというステップが必要になります。「これからの時代には英語、会計、ITスキルが欠かせない」という主張が数年前にもてはやされました。それは今でも当たり前なのでしょうか。また、それらをどのレベルで身につければよいのでしょうか。地方の中小企業にいる人にとっても”当たり前”なのでしょうか。

こうした一般的な主張は個人個人の生涯学習の目標を決めるにはあまり役に立ちません。それぞれの人が置かれている状況は千差万別だからです。今、何を学ぶべきかは自ら考えなければなりません。今現在の仕事で成果をあげるスキルを増やす必要もあるでしょう。将来やってみたい仕事に向かって今からコツコツ身につけるべきものもあるでしょう。現在と未来の両方の視点で学びを計画することはとても大切なのです。しかし、それだけでは足りません。

今日の仕事のための学び、明日の仕事のための学び、つまり現在と未来の学びという二区分で生涯学習を考えるのは少しリスクが高いように思われます。なぜなら、これから世の中がどう変化するかは予測できないからです。現代はVUCAの時代(Volatility,Uncertainty,Complexity,Ambiguity) といわれ、未来が見通せない時代となっています。

こうした時代に合って最大のリスクの一つが「学ばないこと」なのです。そして、先の見えない時代を生き抜くためには多様な視点が必要になるのです。学びを通じて自分の価値観を変化させていくことも生涯にわたる課題となるのです。生涯学習は社会がどのように変化しても生き抜く力を身につけるという長期的かつ多様な学びの事なのです。

ハイブリッドワークライフの考え方としては、プライベートにおける学びの充実が大事になります。単なる娯楽や気休めに時間を使うのではなく、何かを学ぶこと、何かにチャレンジすることが大切になります。もちろん、色々な人との交際の中からの学びもあるでしょう。しかし、前向きではない人との交際からは十分な学びが得られません。

これに対し、前向きで何かにチャレンジしている人の話を聞くと多様な学びが得られます。最終的に自分の価値観に変化をもたらすもの、全く考えたことのない視点をもたらすもの、自分の行動を変化させるもの等が生涯学習の対象となります。必ずしも本を読んだりセミナーに通うことだけが学習ということではありません。しかし、真剣な学びの部分があることは必須となります。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.12.07更新

リンダ・グラットンの「ライフ・シフト」では今後、生産性資産、活力資産、変身資産の三つが重要になるとされています。

先進国の多くの人の平均寿命は今後、100年を超えてくるそうです。その場合、人生のステージが複雑化します。職業人生にも複数のステージがあるのは当たり前ですし、子育てや介護などによって仕事から一歩引く時期が出てくるのも当たり前になります。夫婦共働きの家庭、子供のない家庭、一人親、単身者といったさまざまなライフスタイルも前提にしなければなりません。

こうした「ライフシフト」の時代に合って、まず大切なのは暮らしていくためのお金を確保することです。グラットンはお金に代表される目に見える資産がまず大事と言います。その上で、目に見えない資産の重要性がどんどん高まると考えました。それが、生産性資産、活力資産、変身資産なのです。

生産性資産とは、スキル・経験、優秀な仕事仲間、よい評判を指します。これらは仕事で結果を出すためには欠かせないものばかりです。

活力資産とは、健康、大切な友達や家族、バランスの良い生活などのことです。これらが欠けると日々の生活から活力が失われてしまいます。

変身資産とは、アイデンティティ、新しい情報をもたらすネットワーク、オープンマインドのことです。変身資産は人生100年時代のマルチステージに対応するために必須の資産なのです。

人は誰でも「私はこういう人」という自己認識(アイデンティティ)を持っています。しかし、新しいステージへと移行する際にはその自己認識を変える必要がでてくるのです。では、アイデンディティティはどのような原理で変化するのでしょうか。

それは、他者との違いを意識することでもたらされるのです。様々な人と自分はどう違うのかを考えることで、初めて自分の像が浮かび上がるのです。様々な人との違いを考え続けることで、その一部を差し替えることが可能になります。状況に合わせて自分のアイデンティティの一部を変更することがライフシフトには必要なのです。

変身資産の一つ、新しい情報をもたらすネットワークとは、ワンクッション置いたつながりのある人たちやコミュニティをたくさん持っていることです。仲の良い人たち、つながりの深い人たちから新たな視点や情報がもたらされることは多くありません。全く新しい視点や情報はワンクッション置いた関係性からもたらされるのです。

変身資産の一つ、オープンマインドは今説明したアイデンティティ、ネットワークのいずれにも関係しています。新しいことに対してオープンであることが新しいステージに進むための必須の条件なのです。

人生がマルチステージ化することで変身資産は重要な意味を持つようになりました。ハイブリッドワークライフでは、私生活と仕事を区別しません。そうすることで、多様な人との違いを感じ、新しいネットワークが構築でき、オープンマインドになれるのです。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.12.04更新

現在、多くの業界が成熟期を迎えています。成熟業界に明確な定義があるわけではありません。しかし、成長率が緩やかに低下しつつある業界を成熟業界と呼ぶことが多いでしょう。また、マイナス成長に陥った業界を衰退業界と呼ぶこともあります。成熟業界、衰退業界ではより明確なマネジメントが必要になります。成熟期に移行すると業界は苦難の時期に突入します。経営環境は激変し、経営戦略にも変更を迫られるようになるのです。

成熟業界では競争が激化します。顧客はより品質と価格に厳しくなります。新規参入、業態間競争など競争相手も増えていきます。その一方、売上低下による過剰設備(過剰人員)の問題も起きやすくなります。新製品を市場に投入することも難しくなる場合もあります。製造・マーケティング・開発などあらゆる仕事のやり方が変わる可能性もあります。すると新たな資金投入や取り組みが必要になったりするのです。

こうした厳しい状況にある成熟業界(衰退業界)の経営の原則は何でしょうか。それは「生き残り」を目指すことです。例えば、市場規模が横ばいであるにもかかわらず、新規参入が続いているとしたらどうなるでしょうか。一事業者当たりの売上高はどんどん下がっていくのです。すると、最終的に事業を維持できなくなる事業者が続出するのです。こうした市場では弱い事業者がどんどん淘汰され、最終的に生き残った事業者で市場を分け合うことになるでしょう。

仮に、ある業界では10年後に30%の事業者が廃業すると予想されるとしましょう。これをイス取りゲームに例えると、10席あるイスが最終的に7席まで減るゲームを行っているということです。実は多くの事業者がこうしたイス取りゲームに直面しているのです。ですから、成熟業界(衰退業界)の事業者には「10年後に生き残っている70%に入る」という目標設定が必要なのです。そうでなければ、撤退戦略、つまり廃業や事業譲渡などを考える必要があるのです。こうした明確な意思決定がなければズルズルと業績を落とし続け、生き残ることも撤退することも難しくなるでしょう。

では具体的にどのように行動したらよいのでしょうか。ここでポイントになるのが「独自性」と「差別化」です。同業者同士が同じような行動をして競い合うことはお互いの力を消耗させるだけです。その典型的な失敗が“安売り競争”です。中小・零細事業者にとって安売り競争ほどダメージになるものはありません。それを避けるには、顧客から見て意味のある違い(独自性)を生み出し、しかも、それによって利益を得る必要があるのです(差別化)。

しかし、独自性と差別化は一朝一夕では実現できません。長い間に培った強みが必要だからです。ところが、多くの事業者は新しい強みを身につけるための取り組みを怠っています。日々の仕事に追われ、未来を切り開くための取り組みを行っていないことが多いのです。「このままではいけない」と思いつつも、新しい目標を設定できず時間を浪費し続けている事業者がたくさんいるのです。

何が正しい方向なのかを事前に知ることはできません。しかし、新しい取り組みをしないこと自体は間違いです。未来を作り出すための貴重な時間を浪費することになるからです。正解が分からなくても行動する必要があるのです。こうした場合、仮の目的を設定して行動する必要があります。そして、試行錯誤を繰り返しながら自分なりの正解を導き出す必要があるのです。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.11.29更新

11月27日金曜日にオンラインセミナーの講師を務めました。

テーマはリンダ・グラットンの「ライフシフト」です。特にグラットンの提唱する変身資産に焦点を当てて、人生を豊かにする視点をご紹介させていただきました。
その中で、「ハイブリッドワークライフ」という考え方を改めて提示させていただきました。

ハイブリッドワークライフとはワークライフ・バランスというコンセプトを革新するコンセプトです。
ワークライフ・バランスはいわゆる「9時から5時まで」という表現に代表されるマニュアルワークを前提とした言葉です。しかし、現代社会において充実した人生を送るには、仕事とプライベートを一体化させて考えることが大切になります。それがハイブリッドワークライフです。

実は、こうした視点はすでに2008年に提起されていました。それが「ワークライフ・インテグレーション」です。では、このコンセプトとハイブリッドワークライフは何が違うのでしょうか。

簡単に言うと、企業主導、特に企業の労務管理の観点からのコンセプトがワークライフ・インテグレーションであり、ビジネスパーソン自身の観点からのコンセプトがハイブリッドワークライフなのです。

知識労働には24時間労働という特徴があります。その部分だけを取り上げると「滅私奉公」という悪しき仕事のスタイルのように聞こえるかもしれません。しかし、知識労働にはゲーム性があります。

例えばデザイナーがよりよいデザインにしようと思った場合、「さあ、5時になったから考えるのはやめよう」と思うでしょうか。真に優れたデザインにするために寝ても覚めても考え続けるのがハイパフォーマーの特徴なのです。そして、こうしたハイパフォーマーにとっては、考え続けること自体が喜びなのです。

知識労働で成果をあげることにはゲーム性があります。プライベートで美術館に通うこと、ひょっとしたら自宅の大掃除にも仕事のヒントが隠れているかもしれないのです。プライベートのあらゆる面が仕事と結びつくのです。知識労働で成果をあげる人は、そうしたゲーム性を楽しんでいるのです。

当社ではリンダ・グラットンの「ライフシフト」の提起と、以前から取り組んできたドラッカーのマネジメント論の融合を図り、各人が自分自身の人生の経営者であるという視点でハイブリッドワークライフのコンセプトを磨いてまいりました。

昨年、7月に開催したTMAセミナー「ライフシフトー人生100年時代のマネジメント」をきっかけに、今年5月のGW中にクローズドで開催した「新型コロナ時代のマネジメント」といった発表の場を通じてハイブリッドワークライフのプロトタイプ(試作品)のアイディアを提案し、フィードバックを得てコンセプトを磨いてまいりました。

今後ともセミナーやコンサルティングを通じてハイブリッドワークライフのコンセプトに磨きをかけてまいります。

当社ではこのハイブリッドワークライフのコンセプトに磨きをかけ、ビジネスパーソン個人が仕事とプライベートにおいて輝けるように支援してまいりたいと考えています。

セミナータイトル

ハイブリッドワークライフ

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.10.20更新

仕事とプライベートの境界線を無くし、人生の質を高めていこうとするコンセプトが「ハイブリッドワークライフ」です。

仕事とは「指示されたことを忠実に行っていくこと」と考える人はたくさんいます。高度経済成長期のような時代にあっては、そのような人たちが活躍しました。しかし、現代は違います。何をすれば成果が上がるのかが見えにくい時代になったのです。こうした時代に求められるのは「主体性」です。

主体性とは何でしょうか?主体性とは自ら考え、目的を定め、行動していくことです。そして、主体性は自主性とは対極にある言葉なのです。

近年、大学や社会人のスポーツ組織で不祥事が続出しています。こうした不祥事の多くは監督やコーチが絶対的な権力を持ち、選手に反論を許さない指導をしていたという共通点がありました。一昔前の部活動にはこうした強圧的な指導を行うのが当たり前だったのです。

しかし、時代は変わりました。指示待ちの選手では高度な判断力を求められる現代のスポーツで勝ち続けることが難しくなってきたのです。監督やコーチの言うことに一切逆らわず、言われたことを全力で行う選手たちには高いレベルの「自主性」があります。しかし、現代で求められているのは自らから考えて行動する「主体性」なのです。

オンラインワークが進むとビジネスパーソンにはますます「主体性」が求められるようになります。そして、この主体性こそがハイブリッドワークライフを成功させるために必須の条件になるのです。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.10.02更新

業績の良い企業は、その業界で独占的な地位、もしくは準独占、寡占といった地位を占めています。これは大企業の場合も中小・零細企業の場合も同じです。「中小・零細企業が独占的地位?」と不思議に思われるかもしれません。しかし、業績の良い企業は必ず独占的な地位を占めているのです。この謎を解くカギは「業界」の意味にあります。

業界と聞くと、自動車業界、家電業界、不動産業界、医薬品業界、金融業界‥‥といったものが頭に浮かぶかもしれません。これはこれで正しいのですが、自社の経営を考える上ではあまり参考にならないのです。経営戦略を考えるためには、それぞれの会社ごとに業界を個別・具体的に考える必要があるのです。実は、ビジネスにおいて直接ぶつかり合う、利益を奪い合う企業同士の集まりが「業界」なのです。

自社の「業界」を考えるポイントは「お客さんを奪い合う関係にあるか」です。その判断のポイントは二つ。一つは活動の地理的範囲の共通性です。もう一つは提供価値の共通性です。地理的範囲の共通性の基準によると、例えば、札幌のクリーニング店と東京のクリーニング店は違う業界に属していることになります。同じ仕事をしていても、お客さんを奪い合う関係にないからです。活動範囲が異なればターゲット顧客が異なるからです。こう考えると自社の属する「業界」がとても狭いことがわかります。

次に、同じ繁華街にある飲食店同士であっても提供価値が違う場合があります。例えば、高級イタリアンは夫婦や恋人同士が落ち着いて食事を楽しむ場所です。それに対し、煙りがモクモク立ち上っている駅前の焼き鳥屋さんは仕事帰りの同僚同士がガヤガヤと気楽にお酒を楽しむ場所です。このように活動の地理的範囲が同じでも、顧客が異なり提供価値も違うのであれば違う「業界」と考える方が実際的なのです。すると、食事のメニューが充実しているカラオケボックスは焼き鳥屋さんと同じ「業界」にいると考えることもできるのです。「業界」を具体的に考えることでやるべきことが見えてくるのです。

また、表面的には異業種であっても同じ価値を提供する場合があります。例えば、スターバックスやドトールなどのセルフのコーヒーショップに対し、コメダ珈琲、星乃珈琲などのフルサービスのお店があります。また、近年ではファストフード店も珈琲の販売を強化しています。コンビニでは格安のコーヒーが提供されるようになっています。自販機のコーヒーも年々美味しくなっています。このように異業種同士が同じ価値提供を競うことを「業態間競争」といったりします。「業界」の境界線は複雑に動き続けているのです。同じ企業が二種類の価値提供を行っていることもあります。その場合、その企業は二業種を営んでいるのです。

業績の良い企業は必ず「業界」でよいポジションを占めています。それをそのポジションを競争優位と言います。競争優位は狭く設定した「業界」の中でライバルを圧倒することで得られるのです。ですから、好業績企業は必ず、その「業界」の中で独占か寡占状態を築いていると考えられるのです。

 

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.09.22更新

これからの時代では、仕事とプライベートの境界線が崩れてきます。

「24時間働き詰め、働く時代になるのか」とがっかりする人もいるかもしれません。しかし、そうではありません。「仕事=生活のために仕方なくしていること」と捉えるのではなく、仕事自体をゲームのように楽しむことが求められるようになるのです。

そのポイントは「知識労働」にあります。

知識労働とは何でしょうか?肉体労働の反対なのでホワイトカラーの仕事のことをいうと思う方も多いでしょう。しかし、それは違います。知識労働とは、「自分て目的を設定して成果をあげる仕事」のことなのです。

20世紀初頭では、ほとんどの人は肉体労働者でした。ですから、ブルーカラー=肉体労働者、ホワイトカラー=知識労働者という区分が比較的当てはまっていたのです。しかし、現代では事情が違います。機械設備の導入などによって、いわゆるブルーカラーの人たちの比率は大幅に低下しました。その代わり、第三次産業(サービス、小売り、飲食業など)の従事者が爆発的に増えたのです。こうした仕事の多くはやるべきことが事前に決まっています。目的を自分で設定しているわけではありませんから、こうした人たちの多くはかつてのブルーカラーの人たちの仕事と同じ性質を持っているのです。

さらに、ホワイトカラーの仕事の多くも、目的が既に決まっている場合が多いのです。ですから、ホワイトカラーの仕事の多くが「肉体労働」と同じ性質を持っているのです。こうした場合、「マニュアルワーク」という表現を使うとわかりやすくなるかもしれません。このようにみると、本当に知識労働と言えるものは少ないのです。

ある大手自動車メーカーの場合、新型車種を開発するために500人以上のエンジニアが投入されるそうです。しかし、その500人の内、本当の意味での知識労働者はリーダーの1人だけなのです。彼の仕事は「売れる新型車を開発すること」です。設計図を引く前に「売れる」という成果を事前にあげなければならないのです。

例えば、核家族化が進展したので乗車可能人数を減らすかどうかを決めなければならないのです。色、形、エンジン、居住性のこだわりなど、すべては「売れる」という成果をあげるために最終的に決断しなければならないのです。その他の多くのエンジニアは、その方針のもと分担して開発を進めていくのです。ですから、真の知識労働者は500人の内、たった1人ということになるのです。

では、その他の人たちは単なるマニュアルワーカー(肉体労働者)なのでしょうか。それは違います。与えられた目的をこなすように見える仕事の中にも自分で決めるべきものはたくさんあるのです。多くの仕事は知識労働とマニュアルワークが複雑に組み合わさってできているのです。経営学者のP.F.ドラッカーは、知識労働とマニュアルワークの両方を行う人を「テクノロジスト」と名づけました。そして、先進国ではこのテクノロジストが多数派を占めるようになったのです。

テクノロジストの仕事には9時から5時までのように時間割でこなしていく部分がたくさんあります。しかし、新しいアイディアを必要としたり、難しい問題解決が求められるような場合、9時から5時まで頑張るというやり方は適切ではありません。なぜなら、アイディアをいつ思いつくのかがわからないからです。ですから知識労働とは24時間労働という側面があるのです。より質の高い仕事をしようとすればするほど、仕事とプライベートの境界線が消えていくのです。

こうした条件に直面するテクノロジストに「ワークライフ・バランス」という考え方はマッチしません。なぜなら、この言葉には公私の区別をしっかりつけるという前提があるからです。しかし、仕事以外の時間に豊かな解決策が生まれるという知識労働の特質からすると、こうした前提は適切ではないと思います。仕事とプライベートを一体化させ、なおかつ、仕事の成果と達成感、プライベートの充実感を同時に達成するような視点が求められるのです。そこで私が提起するのが「ハイブリッドワークライフ」という考え方なのです。

仕事に対してはゲームを楽しむように、プライベートに関しても積極的な学びと達成感が得られるようにするのです。本人にとっても、今、仕事をしているのか、それとも単に遊んでいるだけなのかが分からないような状態を良しとする考え方がハイブリッドワークライフです。

「そんな不真面目な」と思われる方もいるかもしれません。しかし、新型コロナの流行による在宅ワークの増加によって、私たちはいやおうなしにハイブリッドワークライフに向かうことになるのです。テレワークに象徴されるようにハイブリッドワークライフは仕事とプライベートを区別しません。いずれの時間も充実させ、中長期で仕事の成果を最大化するとともに私生活の充実も追求するのです。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.09.10更新

地名には郷土の歴史が刻まれています。特に過去の災害が地名に反映しているケースがたくさんあります。地名から災害リスクを知り、不動産の購入や防災対策等に生かしましょう。
まず、「水」に関する漢字を使った地名は水に弱い可能性があります。「池、川、河、滝、堤、谷、沼、深、沢、江、浦、津、浮、湊、崎、島、砂、沖、潮、洗、渋、清、渡、貝、海老、柳、須賀」などです。
災害リスクの高い地形を示す漢字を一覧表にしてみました。

地名は漢字の意味だけではなく、音(読み方)の近い他の字が使われていることもあります。例えば、「栗」と同じ意味で「久留」「来」「呉」「暮」「黒」が使われたり、「亀」と同じ意味で「神、「紙」「鎌」「鴨」「加茂」が使われたりします。ただし、歴史的な出来事に由来してこれらの漢字が使われている場合もあります。
災害に強い地形を表す漢字もあります。高地を示す「山」「峰」「岳」「丘」「台」「高」、安定した傾斜地である「坂」「阪」「段」、水はけのよさを示す「森」「林」などがあげられます。
新興住宅地の「‥ガ丘」「‥台」「希望」「光」等は現代の地名です。また、明治・昭和・平成の大合併で古来の名前が失われたケースもたくさんあります。印象の悪い地名が良いイメージの名称に変更された場合もあります。災害リスクを知るためには、まず、古来の地名を調べる必要があります。

 

地名からわかる災害リスク

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.08.27更新

日経新聞などを見ていると、最近、SDGsのフォーラムなどが多数開催されるようになりました。SDGsはCSRの最新版という理解が一般的かもしれません。

私は2004年からCSRに関心を持ち、コツコツ調べてきましたがSDGsとCSRの間に断層があると感じています。動向の背後に大きな力学上の変化を感じます。ESG投資という上場企業の株主(特に機関投資家)に対する新しい受託者責任のあり方の登場が大きくかかわっているという印象です。根本にあるのは短期利益から長期的利益への関心の変化です。

2003年は日本の「CSR元年」と呼ばれた年でした。単純にこの年に日経新聞記事でCSRという単語が前年までの10倍近く紙面をにぎわすようになったためです。

私は2004年ぐらいから各企業から出されるCSR報告書も取り寄せたりしていましたが、その内容はほぼほぼ「環境報告書」でした。企業の広報やIR担当者などが外部の広告会社と相談しながら作成していたようで、どの会社の報告書も型にはまったものでした。

当時のビジネス社会ではCSR意識が高まりませんでしたので、CSR報告書を欲しいという人が少なく、一個人である私が企業に頼むとどの企業も喜んで資料一式を郵送してくれたものです。50社分ぐらい集めましたが、それだけで大きな段ボール箱がいっぱいになりました。

当時のCSRが一般のビジネスマンの興味をひかなかった理由はただ一つ、「儲からない」からです。「善意で飯は食えない」ということです。

実は日本はCSRについては海外とちょっと違った歩み方をしてきました。90年代に環境省が環境報告書作成のガイドラインを出したため、それに則って報告書を作成し、IR関連資料として公表する流れになりました。

しかし、企業の経営者からすればCSRは単なるコストなので、ほぼほぼCSR部門に丸投げされ、稼ぐ部門からは突き上げられるという愚痴をCSR部門の人から聞く機会もありました。社内におけるそうした不遇の状況もあり、「CSRなんかに興味を持つ奇特な人」であった私に各社が喜んで資料を送ってくれたのだと思います。

2000年代にはSRI(社会責任投資)というプチブームもあったのですが、結局「儲からない」という理由であだ花に終わりました。その後、10年以上、日本のCSRは「儲からない」⇔「社会貢献」という対立軸で停滞し続けました。

実は欧米では2000年代半ばからESG(環境・社会・ガバナンス)という考え方が登場し、「グローバル企業が長期的に存続しようとするなら100年後にも地球が健全に存在していなければならない」という株主に対する受託者責任の内容の変化が起きていました。

年金基金などの機関投資家は短期の企業利益を上げることよりも、長期的な安定収益をハッキリ志向するようになり、経営者の短期的な利益志向にもはっきりクギを刺す流れが出てきました。

ポイントは長期的な利益が関心の中心であり、「地球社会の一員として立派に振る舞う」ことが主目的ではないということです。ですから、新自由主義的なフリードマンの経済理論、効率的市場仮説やポートフォリオ理論などのファイナンス理論とは全く異なる視点による投資行動が注目されるようになりました。あくまでも新たな収益獲得の物の見方という位置づけが強いわけです。

そして、大きな転換点となったのがリーマンショックで、日本の大手企業の多くが経費削減に集中する一方、欧米のグローバル企業は「長期的な将来に儲けを出すための必須の投資活動」としてCSRを位置づけて取り組みを強化していました。つまり、CSRが民間主導の側面を強めたわけです。その一つの区切り目がSDGsです。

SDGsは2015年に発表されましたが、日本の企業はほとんど反応しませんでした。後日、国が言い出し、経団連もガバナンスコードを改定するなどして、その様子を見た企業が「なんだかわからないけれど大変だ」という感じでいきなり注目を浴びたという背景があります。

SDGsの本質はこまごまとしたガイドラインの解釈にあるのではなく、その背後での起業、機関投資家、NGO、国際組織、国家の力学の変化にあります。その力学の理解がないままに、社会貢献を前面に出すのは本末転倒で、本質的には超長期における自社の利益創出モデルの外部発信と考えるべきかと思います。

中小企業に関しては大手企業のサプライチェーンの中でのコンプライアンス問題として位置づける必要があります。2000年代にISO14001が流行した背景には、大企業はサプライチェーンで生じた害悪に対する責任をがあるという物の見方の転換があったためです。協力会社の環境破壊の責任は大企業にあり、大企業はISOという認証をもらうことで、CSR上のアリバイを作ろうとしたのです。

ISO14001がCSRのアリバイ作りに人気が出たのと同様に、ブラック企業問題に対してホワイト企業認証が、同じようにSDGsのも認証の動きが出ています。しかし、これらの認証取得がそれらについての優等生企業であることは意味していません。日本企業は特にこのアリバイのための認証取得を好む傾向がありますが、それは結局、本質が理解できていないため肩書に頼ろうとしているということなのだと思います。

新たな物の見方の登場した背景の力学を理解すれば、どう振る舞うべきかが見えてくるように思います。うっかりすると2004年頃に企業のCSR報告書のように、型にはまった実質的な内容の乏しい単なるアリバイ作りの取り組みになる予感がしています。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

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