浅沼宏和ブログ

2020.08.27更新

 トラブルなどに関連して「苦情」と「クレーム」という言葉あります。どちらも同じような意味だと思われがちですが、実は「苦情」と「クレーム」では意味が違います。その違いは英語にするとよくわかります。

「苦情」(complaint)とは相手に対して不平や不満を表明することです。これに対し、「クレーム」(claim)とは自らの権利を主張して損害賠償などを含めて何らかの対応を相手に要求することです。この二つの意味の違いを理解しておくと、仕事の管理の仕方が違ってきます。

     

 不平・不満を感じることは誰にでもあります。しかし、それが内心に留まる限り外部から知ることはできません。不平・不満は外部に表明されて初めて知ることができるのです。このように外部に表明された不平や不満が「苦情」なのです。ですから「苦情」がないからといって不平・不満がないとはいえません。

 不平や不満をハッキリと口にする人ばかりではありません。普段はほがらかな常連客が、今日に限ってムスッとしていたとします。その態度はもしかすると内心の不満の表れ、つまり「苦情」なのかもしれないのです。ビジネスでは口では明確に表明されないこのような「苦情」が重要な意味を持ちます。こうした微妙な「苦情」を放置すると、後々大きなトラブルに発展することもあります。

 「クレーム」とは「苦情」の段階を超えて不満がトラブル化した状態です。相手から何らかの要求を突き付けられ、それに対する対応を迫られている状態が「クレーム」です。「クレーム」を受けた場合、何らかの行動が必要になります。それに手間や費用がかかります。場合によってはビジネスそのものに大きな影響が出る可能性もあるのです。

 つまり、内心の不満よりは「苦情」が、「苦情」よりも「クレーム」がより深刻です。そして、「クレーム」を防ぐには「苦情」の段階で食い止めること、さらにはっきり口にされた「苦情」を減らすには表情や態度などからうかがえるかすかな「苦情」を察知することが大切です。「クレーム」を受けることの少ない人、会社は常日頃からかすかな「苦情」に注意を払っているものです。

 ドラッカーは「良い工場は静かで退屈だ」と述べています。すべてが予測され、手順やルールがしっかり守られているため問題が起きないということです。しかし、どれほどしっかりとした管理が行われていても、「苦情」や「クレーム」をゼロにすることは難しいものです。状況は常に変化していますから、従来のやり方ではうまくいかなくなることがあるからです。また、想定外の事態が起きることもありえます。

 しかし、「苦情」と「クレーム」を意識して使い分け、「苦情」=外部に表れた不満、「クレーム」=要求を伴う不満と区別するとリスクマネジメントがしやすくなります。そして、わずかな「苦情」を見つけ、対処することを習慣化すれば、より大きな「苦情」、「クレーム」を防ぐことができるのです。「クレーム」をゼロにするためには、かすかな「苦情」の段階で発見し、解決することが大切です。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.07.27更新

問題と課題はどちらも「解決するべきこと」といった意味の言葉です。この言葉の意味の違いは普段あまり意識されることはありません。しかし、多くの人は無意識にこの言葉の違いを感じ、使い分けているのです。たとえば、得意先からクレームがあった時、どちらの言葉を使うでしょうか。ほとんどの人は、「問題が起きた」と表現するでしょう。「課題が生じた」という人は少ないのではないでしょうか。つまり、多くの人はトラブルが起きた時には「問題」という言葉の方がしっくりすると感じているのです。

では、「課題」はどんな場合に使う言葉でしょうか。例えば、オリンピックなどでの活躍を目指しているスポーツ選手にインタビューをする場合、現在の練習の取り組み状況を聞き、次に「今後の課題は?」と尋ねる場合が多いでしょう。この時に、「問題」という言葉を使う人は少ないと思います。ここで質問されていることは、今抱えているトラブルではなく、自分自身がよりレベルアップするために必要と考えていることは何かということです。つまり、「課題」とはよりよくなることに関係する言葉なのです。このように私たちは、悪い文脈において「問題」という言葉を使い、良い文脈では「課題」という言葉を使っているのです。

多くの場合、「問題」という言葉は正しくない状態を示すために使われます。「正しくないことが起きた」、つまり、正常(あるべき姿)との間にギャップがある場合に使われるのです。そして、「課題」は、「どうすればよりよくなるか」、つまり、理想(ありたい姿)との間のギャップを明らかにする場合に使われるのです。

 「問題」は正常とのギャップですから、本来、そのような状態が起きないようにしなければいけません。つまり、「問題」はゼロにすることが望ましいのです。そのためには仕事の目的・プロセス・手順などを明確にし、そこからズレていないか常に気を配ることが必要です。それが仕事を管理するということなのです。仕事を明確にしておけば「問題」が小さいうちに発見することができます。仕事のできる人は問題が小さいうちに見つけ、即座に対処しているので大きなトラブルになることが少ないのです。逆にトラブルによく見舞われる人は目的や手順があいまいな状態で仕事をしている可能性があります。そして、「課題」は理想とのギャップです。成長するためには「課題」が必要なのです。「課題」がなければ何を目指して行動すればよいかわからないからです。「課題」がないという状態は望ましくありません。「問題」はゼロにすること、「課題」は適切に設定することが大事なのです。

しかし、「テストの問題」という場合の「問題」はトラブルのことではありません。良い意味でも悪い意味でもなく中立的な意味です。言葉の意味は状況によって変化します。「問題」という言葉は「課題」とセットで考えることでトラブルのような意味になるのです。ここで解説した「問題」と「課題」の意味の違いは、仕事や私生活のマネジメントを行う際に使い分けると便利でしょう。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.07.08更新

以前、当社では通信講座会社のJTEXのために「ものづくり人のためのドラッカー」という通信講座のテキストを作成しました。

この講座はドラッカーの「テクノロジスト」という概念を現代風にアレンジしたものでした。そのポイントは、現代の多くのビジネスパーソンは、知識労働と肉体労働の両方を行っており、それぞれの生産性を高めていかなくてはならないというものでした。

一般的には知識労働者と肉体労働者は相容れないものとされています。しかし、ドラッカーはそのようには考えませんでした。例えば、外科医の仕事のうち、診察・診断は知識労働です。しかし、ドラッカーは手術を「高度な技能に基づいた肉体労働」だというのです。技術の一つ一つは極めて高度な医学に裏打ちされていますが、手順としては明確に定まっており、それを肉体の動作として行っているので「手術は肉体労働」だというわけです。

一般のビジネスパーソンの場合はどうでしょう。企画書を書くことは知識労働でしょう。新しいアイディアを考え、それをまとめるわけですから単なる作業とは違います。しかし、そのビジネスパーソンも定型的な仕事はたくさん行っているでしょう。書類を作ったり、上司の報告したりといったやるべきことが定まった仕事の方が多いかもしれません。こうしたビジネスパーソンの仕事ぶりを見て、ドラッカーは「テクノロジスト」と呼んだのです。

「テクノロジスト」という響きからエンジニア的な仕事にしか当てはまらないような気がしますが決してそんなことはありません。ビジネスパーソンのほとんどが実際に「テクノロジスト」として働いているのです。

ところで、「テクノロジスト」の二つのタイプの仕事、つまり知識労働と肉体労働では全く働き方が異なってきます。肉体労働は工場労働に代表される働き方です。決まった場所で、決まった時間働くタイプの労働になります。ところが知識労働はそうではありません。知識労働は働いた量に比例して成果が出るわけではありません。素晴らしい企画1本は、ダメな100本の企画に勝るのです。ですから、決まった時間だけ仕事をすればよいというわけにはいかないのです。

今年は新型コロナの影響で在宅での仕事を余儀なくされている人が多くなっています。「テレワーク」や「リモートワーク」が一気に広がったことで、働き方が大きく変わりつつあります。

「ハイブリッドワークライフ」とは、新型コロナ時代における新しいテクノロジストの働き方と私生活の関係を示すコンセプトです。当社では「ハイブリッドワークライフ」のコンセプトをブラッシュアップし、新しい時代の働き方を提示していきたいと考えています。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.06.27更新

人は無意識のうちに自分の中にある基準に従って行動しています。基準というのは物の見方のことです。そして、物の見方が変わると行動が変わります。今回は自主性と主体性の違いについて解説したいと思います。

自主性と主体性はどちらも積極的な行動に関する物の見方です。多くの人は、この二つをあまり区別せずに使っていることでしょう。それで不自由を感じることはあまり多くないかもしれません。しかし、この二つは区別したほうが良いのです。これを区別することで行動が変わってくるからです。実は自主性と主体性の違いは目的をだれが決めるかにあります。人が決めた目的に向かって積極的に行動するのが自主性で、自分で決めた目的に向かって積極的に取り組むのが主体性です。主体性の意味を知れば物の見方が変わるでしょう。

 例えば、先生が決めたプログラム通りに勉強や部活動に積極的に取り組む学生には「自主性」があります。それに対し、先生からは何も言われていないけれど、今の自分に何が必要かを考え、目的を設定し、何をするかを自分で決めて実行する学生には「主体性」があるのです。同じ積極的な行動でも、この二つのタイプの行動の意味は全く異なります。そして、現在は自主性よりも主体性がより求められるようになったのです。

あるチームスポーツの全日本のコーチを務めている方に伺ったのですが、今、世界のトップレベルの試合では、相手の戦術をつぶすことから試合が始まるのだそうです。つまり、試合の序盤でお互いに計画通りの行動がとれない状況になるのです。ですから、選手たちには自分で考えて行動することが求められます。ところが、これまでコーチの言う通りに行動してきた真面目で素直な選手ほど何もできなくなるそうです。普段から自分で考えて行動する訓練をしていないためです。

同じことはビジネスシーンでも起きています。現代のビジネスにはさまざまな要素が関係してくるため、当初の予定通りに物事が進むことが少なくなっています。やはり自分で考え、行動することが求められているのです。ところで、現代社会を表すVUCA(ブーカ)というコンセプトがあります。変動(Vulnerability)、不確実(Uncertainty)、複雑(Complexity)、あいまい(Ambiguity)の四つの頭文字を表しています。VUCAの時代には何が正しいのかは誰にもわかりません。だからこそ、他人任せで物事を決めるのではなく自分自身で決めることが重要になるのです。自主性ではなく、主体性が求められるのです。

残念ながら日本の教育では主体性はあまり重んじられてきませんでした。先ほどご紹介したコーチがイタリアに研修に出向いたところ、イタリアのジュニア育成のコーチたちは子供たちが与えられた課題を身につけていないにもかかわらず、どんどん先にプログラムを進めていたそうです。そのことを質問したらイタリアのコーチたちは逆に驚いた様子で、「君たちはコーチの仕事を何だと思っているのだ?子供たちに自分に足りないものを気づかせてあげることではないか。後は本人の問題だ」と答えたそうです。つまり、イタリアでは自主性より主体性を重んじる教育が行われているわけです。日本ではこれまで自主性が重んじられてきましたが、これからは、主体性がより大事になると思います。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.06.24更新

リンダ・グラットンの「ライフシフト」がベストセラーとなって以来、「人生100年時代」という言葉が日常用語になりました。

この本のポイントは長寿化のリスクについて指摘したことです。長寿化では、学業の時代、仕事の時代、引退後の時代といった従来までの画一的な3つのステージではなく、個人のライフスタイルに合わせた多様なステージの組み合わせが当たり前になるというものでした。

ところが、多くの人はこの長寿化のリスクに対処しておらず、何らの備えをしないままで年を重ねているといいます。グラットンはこうした時代にあって、自らの生き方を主体的に決定し、行動していくことの大切を指摘したということができます。

ライフシフトの時代において、マルチステージに対応していくためには目に見えない三つの資産が重要になると言います。それが、生産性資産、活力資産、変身資産です。三つの資産はそれぞれ、仕事で成果をあげる能力、肉体的・精神的なコンディション、変化に対応する強みと言い換えることができると思います。

こうしたライフシフトの時代には、「ワークライフ・バランス」という言葉が適切ではなくなってきます。ワークライフ・バランスとは「仕事を充実させるためには私生活を充実させることが大事だ」という考え方です。オンとオフの切り替えのメリハリをつけようということだと言えます。

しかし、ワークライフ・バランスという言葉は肉体労働やマニュアルワークという、いわゆる“9時から5時まで”の仕事を前提とした発想です。この前提は知識労働化した社会には当てはまりません。知識労働は9時から5時までの仕事とは性質が異なるからです。

例えば、仕事上のアイディアが就寝中、入浴中、散歩中などプライベートな時間帯に思い浮かぶことがあると思います。未知の領域になるほどこうした傾向が強まります。知識労働とは、ある意味では24時間労働という性格を持っています。そして、現代社会では大きな付加価値は知識労働で生じるようになったのです。

こうした時代では仕事とプライベートの関係が変化してきます。それが「ハイブリッドワークライフ」というコンセプトです。ハイブリッドワークライフは仕事とプライベートに明確な境界線を設けず、仕事においては楽しみを見つけ、プライベートにおいては能力向上と精神・肉体の活性化を実現するという考え方を表現したものです。

このコンセプトについて、これから詳しくご紹介していきたいと思います

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.04.29更新

新型コロナの流行のインパクトは歴史的なものとなっています。人との直接的な接触が制限され、仕事のみならずライフスタイルにも大きな影響が出てきています。おそらく、新型コロナが収まった後も、その影響は続いていくでしょう。私たちは新しいライフスタイルを模索する必要があるのです。

しかし、ライフスタイルを変える必要性は新型コロナが流行する前から広がり始めていました。リンダ・グラットンの『ライフシフト』によって「人生100年時代」を見据えた働き方、生き方を模索する必要がでていたのです。それが、新型コロナの影響によって一気に加速することになりました。

当社はドラッカー経営を実践する立場として、こうした新しい時代における新しい働き方、ライフスタイルをドラッカーの視点で考え直さなければと思っています。「今、ドラッカーが生きていたらどのような提案をするだろうか」といった問題意識で、新しい働き方のコンセプトを考えたいと思っています。

今年は、あらゆる企業、組織、人が積極的な打ち手を出せない年になっています。しかし、こうした年であるからこそ、深く考え、次の行動のために準備しなければなりません。当社は、今年を「ドラッカー経営を刷新する年」と位置付け、これまでの当社の提起したコンセプトを見直し、新しいコンセプトを提案してまいりたいと考えております。

皆様にも新しいアイディアについてご意見を頂くこともあるかと思いますが、その節はよろしくお願いいたします。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.04.27更新

2020年は“新型コロナウィルス”という歴史的なパンデミック(世界的大流行)に見舞われた大変な年になりました。想定外の事態で世界中が大混乱に陥っており、これから正常化に向けた長い取り組みが始まろうとしています。ある経済団体のリーダーが今回の事態を受けて「中小企業はBCP(事業継続計画)の策定が立ち遅れている」と苦言を呈していましたが、疫病を念頭に置いたBCPを策定している企業は日本にほぼなかったと思います。そこで、リスクと不確実性という言葉を深堀して、「まさか」の事態にどう対処するかの手掛かりを探りたいと思います。

長い間、ビジネスの世界でリスクマネジメントとは「保険に入ること」を意味していました。しかし、20世紀後半になってさまざまな金融商品が登場し、金融市場が実体経済よりも巨大な存在になってくるとリスクの意味が変わっていきました。金融商品は高度な統計学、ファイナンス理論に基づいて設計されます。そのポイントとなるのは損害の発生可能性とその影響度です。この二つを具体的な数字に落とし込んで金融商品が作られるのです。つまり、金融業界におけるリスクとは数値化された損害の可能性とその大きさなのです。

金融市場が大きく発展したのは1980年代以降です。緻密なリスク計算によって設計された金融商品を取り扱うのですから、リスクは適切にコントロールされるはずでした。ところが、金融市場はほぼ10年ごとに「想定外」の大事態の発生によって翻弄されてきたのです。たとえば、1987年に起きた“ブラック・マンデー(暗黒の月曜日)”による株式市場の大暴落は統計的には宇宙の歴史を何度か繰り返して、やっと一回起きるかどうかという“ありえない”ほど低い確率の出来事でした。そのわずか10年後の1997年には“アジア通貨危機”が起き、ファイナンス理論のノーベル経済学賞受賞者が経営するヘッジファンド・LTCMが“ありえない”市場の動きによって破綻(1998年)してしまいました。さらに、その10年後の2007年には“ありえない”の金融恐慌が起き、2008年のリーマン・ショックにつながったのです。

金融業界がこうした“ありえない”事態にたびたび翻弄されてきたのには理由があります。金融業界では起きそうなことの99%をカバーすること、つまり確率的に“ありそうな”事態を念頭においてビジネス・モデルを作っているのです。滅多に起きそうもないことを想定していては日常の仕事が回らないからです。しかし、こうした経験から「滅多に起きないけれど、もし、起きたら困る」という事態を想定しなければいけないと考えるようになったのです。滅多に起きないことは、意外とよく起きることがわかってきたからです。そこで、2008年以降、特に重視されるようになったのが、「滅多に起きないけれど、たまに起きそうなこと」を想定して、その場合の損害を計算し、それを軽減することが重視されるようになったのです。そのための方法をストレス・テストといいます。

ストレス・テストは「いつかやってくるかもしれないがいつ来るかわからない」事態に備えるための方法です。いつやってくるかわからない事態なので発生確率はわかりません。つまり、数値化できないのです。このように数値化できない危険を「不確実性」といいます。そうした大変な事態になった場合、どんな損害が出そうか、もしそうならどんな対策を立てるべきかを考えるための手段がストレス・テストなのです。大地震、大きな台風、戦争・紛争、疫病などはいつ起きるかはわかりません。しかし、そうした事態を想定して、「もし、そうなったらどうするか」を普段から考えておくことも大切なのです。世の中には確率は分からないかれど、いつか必ず起きる大変なことがたくさんあるのです。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.01.25更新

 浜松地方特有の起業家精神を「やらまいか精神」といいます。地域経済振興、地域活性化の話題では必ず「やらまいか精神を発揮しよう」と決まり文句のように言われたりします。ところで「やらまいか精神」とは何でしょうか。「浜松はやらまいか精神の町といわれているが‥」といいますが、誰が言い出したのでしょうか。

 私は浜松生まれですが、「やらまいか」という言葉を「鬼ごっこでもやらまいか」といった軽い勧誘の意味で使っていました。何か大きなことにチャレンジするような意味で「やらまいか」を捉えてはいませんでした。ですから「やらまいか精神」という言葉についていつも不思議に思っていました。

 そこで、いったい誰が「やらまいか精神」と言い出したのかを調べてみました。ヤマハの創業者・山葉寅楠氏は和歌山県出身なので違いそうです。地域の有名企業家というと本田宗一郎氏ですが、一人で走りだしそうな方なのでこんな言い方はしないでしょう。ネットで調べても、行政や商工会議所などのパンフレット類を見ても、どこにも語源の説明はありません。「浜松は『やらまいか精神』の町といわれているが‥」とだけしか書かれておらず、誰が言い出したのかを説明していません。長い間、調べてきましたが、やっと答えを探り当てることができました。

 実は「やらまいか精神」の歴史は古くありません。最初に言われたのは1980年と意外に最近だったのです。「やらまいか精神」の名付け親は当時の人気経済評論家だった梶原一明氏です。その著書・『浜松商法の発想』(講談社・1980年)に「やらまいか精神」と名づけた理由が書かれています。この本は、世界的企業が数多く誕生した浜松の風土を紹介する内容でした。また、タイトルからして浜松人のプライドをくすぐるものだったので、特に浜松ではたくさん売れたのです。年配の方で読まれた方も多いことでしょう。

 ところが梶原氏は地域の人ではありませんので「やらまいか」の意味を誤解していました。本の中では「やらまいか」とは「ともかく『やってしまう』、もしくは『やってしまった』との中間ぐらいの意味」で「現在完了形に近いと説明」しています。ぐずぐず議論するよりもまず実行してしまおうとする精神なのだというのです。「やらまいか精神」とは素早く行動する精神なのだというわけです。

 たとえばヤマハでの社長交代や本田技研の東京への本社移転の素早い決定を「やらまいか精神」の表れだとも説明しています。

 梶原氏の説明は浜松人からするとおかしく聞こえます。遠州弁の「やらまいか」は「一緒にやろうよ」という軽い勧誘の意味です。思い立ったらすぐ行動というニュアンスを含んではいません。つまり、梶原氏は「やらまいか」という言葉の意味を誤解したまま、浜松の起業家精神とは「やらまいか精神」だと結論付けたわけです。そして、浜松の起業家精神を褒めちぎった本でそのように説明されていたため、浜松の人たちがそのまま受け入れてしまったのです。

  ですから「やらまいか精神を発揮しよう」といわれても、浜松人には実はピンと来ていないのだと思います。文字通りの意味としては『一緒にやってみないかい』精神になってしまうからです。また、梶原氏の著書で紹介されている企業の多くは高度経済成長期特有の背景で成長を遂げた企業です。経営環境が激変していますから、当時の考え方で行動することが必ずしも有効であるとは限りません。

 新たな時代に発揮する起業家精神には新たな視点・考え方が必要です。いまさら「やらまいか精神」という言葉を変えるわけにはいかないかもしれませんが、それが何を意味するかは改めて考える必要があると思います。

*参考:梶原一明『浜松商法の発想 -ホンダ・ヤマハ・カワイ・スズキの超合理主義』講談社、1980年

 

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2020.01.08更新

 現在、経団連に関連する通信講座会社から依頼されて「時間管理」のテキストを書いています。色々な考え方があると思いますが、この講座ではドラッカーの5つの習慣、トヨタ生産方式、そして最近流行の行動経済学の理論を参考にしています。

 行動経済学者のムッライナタンとシャフィールは「いつも時間がないあなたに」という本の中で、「時間管理とは希少な資源の使い方の問題だ」といっています。つまり、「時間が足りない」と「お金が足りない」は一緒の問題だというのです。

 それどころか、「人間関係が足りない」、「やる気が足りない」も同じ種類の問題だといいます。なんだか不思議な話ですが、時間、お金、人間関係、やる気は希少な資源という点では同じだというわけです。そして、不足するものがあると、それが別の問題を引き起こすのだといいます。

 何かが足りないと感じると、人の意識はそこに集中します。すると足りないものを大事に使うようになります。お金が足りなければお金の使い道を細かく考えます。時間が足りなければ少しの時間を有効に使おうとします。すると集中力が発揮されるのです。

「なんだ、足りないほうがいいことがあるじゃないか」と思われるかもしれません。ところがいい事ばかりではありません。何かが足りないと、足りないものに気を取られてしまうのです。

 すると、うっかりミスや誤った判断をすることが増えるのです。集中の良い点を「集中ボーナス」、集中して周りが見えなくなることを「トンネリング」といいます。トンネリングは人間の処理能力の限界から生じます。

 良い集中のためにはトンネリングの欠点の影響をできるだけ少なくすることが必要です。しっかりと準備し、落ち着いた状況で腰を据えて仕事をすることが大切なのです。

 逆に、悪い集中は緊急事態やトラブルなどに対処する時に生じやすくなります。準備不足のまま集中すると、別のミスやトラブルが起きやすくなるのです。

 時間管理のポイントとは、できるだけ意図的な集中、つまり“良い集中”の時間帯を増やすことです。それには準備や段取りが大切になります。

 しかし、人間は一日中全力で仕事をすることはできません。個人差はありますが高いレベルの集中は30分から90分ぐらいしか続かないと言われています。

 しかも、集中力のピークは起床後2時間ぐらいにやってくるそうです。ということは、重要な仕事は午前中に1~2時間を上限に計画したほうが良いわけです。

 もちろん、仕事の都合で午後にたて続けに重要な会議、プレゼン、商談を行うような場合もあるでしょう。そういう場合には、それらの仕事の準備は午前中に行うなど、できるだけ午前を生かすように工夫するのです。

 一日の仕事がうまくいくかいかないかは、午前中の使い方で決まるのです。人間の有限な処理能力を午前中にうまく使うことが時間管理のポイントなのです。 

 また、車が多いと道路が渋滞するように、仕事の予定を入れすぎても全体の効率が悪くなります。ドラッカーも「成果をあげる人は急がない」と言っています。

 毎日、朝から晩まで全力で仕事をする計画を立てても長続きしません。最も重要な仕事を毎日、午前中に一つ計画し、着実に実行し続けることが、長い目で見て成果を大きくするコツなのです。一つの仕事に集中し、あせらずじっくり取り組みたいものです。

 

 *参考:ムッライナタン&シャフィール『いつも「時間がない」あなたに』早川書房、2017年

 

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

2017.08.08更新

第16章 公的債務の問題

1. 政府が支出をまかなう方法は主に二つ。税金と負債だ。一般に、公正と効率の観点からして税金の方が負債よりもはるかに望ましい。

2. 負債の問題は、通常は返済が必要になるということだ。負債による資金調達は、政府にお金を貸せる人々の利益になる。社会的利益の観点からは、金持ちに借りるより、金持ちに課税する方が望ましい。

3. しかし、現状では世界の富裕国は終わりの見えない債務危機にどっぷり浸かっている。先進国が現在では1945年以来見たこともないような水準の負債を抱えている。

4. こうした事態は、公的債務の問題が絶対的な富の水準の問題ではなく、富の分配の問題であることを示している。金持ち世界は金持ちだが、金持ち世界の政府は貧乏だ。

5. 中でもヨーロッパが最も極端だ。世界最高水準の民間財産を持っているくせに、公的債務危機解決に最も苦しんでいる。奇妙なパラドックスだ。

6. 巨大な公的債務をどう減らすか?手法は、資本税、インフレ、緊縮財政の三つ。

7. 民間資本に対する課税が最も公正で効率的な解決策だ。次にインフレが有効だ。歴史的にはほとんどの巨大公的債務はインフレで解決されてきた。

8. 公正の面でも効率性の面でも最悪の解決策は緊縮財政を長引かせることだ。それなのにヨーロッパは現在この手法を採用している。

9. 現状、ヨーロッパ諸国の国富は国民所得の6年分に近く、ほとんどが民間主体が保有している。公共資産の総価値はほぼ公的債務総額に等しく純公共財産はゼロに近い。民間財産は不動産と金融資産が半分ずつ。ヨーロッパの企業や国債はヨーロッパの家計が保有している。

10. こうした実態は複雑化した金融システムのおかげで見えにくくなっている。

11. こうした条件下で公的債務をゼロに減らすにはどうしたらよいだろう?解決策の一つはあらゆる公共資産を民営化、払い下げることだ。各種計算によると公共建築、学校、大学、病院、警察署などの売却益はだいたいあらゆる公的債務残高を返済するのに十分なくらいだ。

12. しかし、こうした解決策は現実的ではない。もし国がその任務を適切かつ持続的に行うのであれば、特に教育、保健医療、安全保障の分野での機能を維持するのであれば、国は関連する公共資産を所有し続けなければならない。

13. それでも、現状のままであれば、政府は公的債務の残高に対する多額の利子を支払わねばならないので、状況は同じ資産の利用に対して賃料を支払うのとあまり変わらない。

14. こうしたやり方よりもずっと満足のいく公的債務の削減方法は、民間資本に対して一時的な特別税をかけることだ。たとえば民間財産に15%の課税をしたら1年分の国民所得が得られ、公的債務残高を即座に全額返済できる。こうしたやり方は公的債務の踏み倒しに等しいが、実際は根本的違いがある。

15. まず、債務の踏み倒しの最終的な結果を予測することは難しい。その費用をだれが負担することになるかの予測がつきにくいということ。

16. しかし、公的債務の全面または部分的デフォルトは極端な債務超過の場合に行われることがある。たとえば2011-2012年のギリシアがそうだった。こうしたやり方をヨーロッパ全体で大規模に導入したら銀行がパニックを起こし、倒産の連鎖反応が起こる。

17. さらに投資家がこうした被害を避けてしまうことも考えられる。金融資産は絶えず取引されており、最終的に損失を被る人々が、本来損失を被るべき人々だという保証は全くない。

18. これに対して例外的な資本課税の長所はもっと文明的な形で物事を動かす。まず、万人が貢献しなければならず、重要な点として銀行破たんが避けられる。金融機関ではなく所有者が支払うからだ。

19. 財政的な解決策の主要な長所は各人に要求される貢献が財産の規模に応じて調整することにある。つつましい財産はお目こぼしし、最大級の財産からそれ以上の貢献を求めるように設計された累進税を適用した方が良い。

20. いずれにしても一撃で公的債務をゼロにまで減らそうとするのはやりすぎ。

21. 例外的な資本課税が巨額の公的債務を減らす最高の方法。これは圧倒的に最も透明性が高く、公正で効率的な手法だ。

22. しかし、次の選択肢としてインフレがある。インフレ率が少しでも上がると公的債務の実質価値は大幅に減る。インフレ率が年2%から5%になれば公的債務の実質価値は対GDP比で見ると15%以上も下がる。これは相当な額だ。

23. インフレによる解決策は魅力的だ。歴史的には最も大規模な公的債務はこの手法で削減された。特に20世紀ヨーロッパで顕著だった。フランスとドイツのインフレは1913-1950年にかけてそれぞれ年平均13%と17%だった。両国が公的債務負担の非常に小さい状態で1950年代に復興に乗り出せたのはインフレのおかげだった。

24. 現在、主要な中央銀行がインフレ目標を引き上げようとしている。これが成功すればユーロ圏に比べ債務危機からずっと素早く脱出できるだろう。

25. 例外的な資本税と追加のインフレがなければ、ヨーロッパに現存するほど巨額の公的債務負担から逃れるには数十年以上かかりそうだ。

26. 長期的緊縮財政の興味深い歴史的事例は19世紀イギリスだ。イギリスはナポレオン戦争時の巨額債務を始末するのに1世紀近くの財政黒字を続けた。19世紀のインフレはほとんどゼロだったが、インフレ目標2%ならばヨーロッパの緊縮財政は10年か20年で済むだろう。だが、それでもかなりの長期間だ。21世紀の経済的課題に応えるためには緊縮財政より良い方法があると考えるべきだ。

27. インフレは累進資本税の代替としては極めて不完全。望ましからぬ副作用が起こることもある。インフレの制御は難しく、また、インフレが永続化して期待に埋めこまれるようになると、その望ましい効果の大半が消えてしまう。結局のところ、インフレはかなり粗雑で厳密さに欠くツールだということ。

28. もしヨーロッパにインフレの大波がやってきたら、富の再分配の面で、各種の予想外の結果が生じ、特にフランス、ドイツなどにおいてつつましい生活手段しかない人にとって有害となる。

29. 資本の規制と再分配においてインフレが果たす役割、中央銀行の役割を理解するには歴史的視点での考察が必要だ。

30. 金本位制が普通だった第一次大戦前は中央銀行は今日よりずっと小さな役割しか果たさなかった。特にお金を作る能力は現存する黄金と銀のストックによって厳しく制限されていた。

31. 金本位制の主要な問題点は、全体としての物価水準の変動が黄金と銀の発見という偶発時に主に依存していたということだ。もし世界の黄金ストックが一定で、世界の産出が増えれば、物価水準は下がるしかない。

32. 実際、黄金や銀の巨大な鉱脈が突然発見されると(16世紀、17世紀のスペイン領アメリカ、19世紀半ばのカリフォルニア)、物価が高騰して別種の問題を引き起こした。

33. しかし、いったん通貨が貴金属への兌換性を失うと中央銀行がお金を作る能力は潜在的に無限になってしまうので厳格な規制が必要だ。これが中央銀行の独立性に関する論争の核心だし、無数の誤解の基にもなっている。

34. 大恐慌の開始時点で工業国の中央銀行はきわめて保守的な政策を採用した。金本位制廃止からまだ間がなく、トラブルに陥った銀行救済のための流動性創造を拒否した。これが連鎖半島的倒産を生み出し危機を深刻化させ、世界を奈落の底に突き落とした。

35. 歴史的体験のトラウマが中央銀行の主要な役割が金融システムの安定にあることへの世界的な同意につながった。中央銀行は「最後にすがれる貸し手」の役割を引き受けるようになった。

36. フリードマンは資本主義経済の安定した成長を確保するには物価水準の規則正しい推移を保証する金融政策が必要だと考えた。このマネタリストの視点によるとお金がかかるだけのニューディール政策は役立たずでインチキであることになる。資本主義を救うのに唯一必要な物はきちんと運営された連邦準備制度だけと考えられた。

37. フリードマンの単純かつ強力な政治的メッセージは大きな威力を持った。フリードマンをはじめとするシカゴ学派経済学者たちの研究は巨大化する国家に対する疑念を育み、1979-1980年の保守革命を支援した。

38. しかし、マネタリスト、ケインズ派、新古典派を問わず、あらゆる経済学者は中央銀行が最後にすがれる貸し手として活動すべきで、金融崩壊とデフレスパイラルを避けるために必要なあらゆることをすべき点に合意していた。

39. 実際問題として中央銀行は何をするのか?中央銀行は富を再分配するのだ。

40. まず確実なのは、中央銀行が金融機関、非金融機関、政府に融資してお金の供給を増やしても国民資本には即座には影響しない。中央銀行は企業に投資を強制したり、家計に消費を強制したりできない。また、経済に成長を再開するように命じることもできない。インフレ率を決める力もない。

41. 民間投資家たちは金融当局がゼロ金利近くで貸してくれるお金をどう使ったらよいかがはっきりわかっていない。借りたお金は最もしっかりとしていると思われる政府に非常に低い金利で貸し直すことになる。

42. 中央銀行が強力なのは富を極めて急激に再分配できるからだ。お金を即座に無限に作れる能力は貴重な能力だ。課税だけに頼ることが唯一の金融危機解決の方法なら、世界中の銀行は倒産してしまう。金融当局の強みは急速な実行力だ。

43. 中央銀行の弱みは金融ポートフォリオの管理が難しいこと。中央銀行は富を素早く大規模に再分配できるが、その目標選択が大間違いの可能性もある。だから、中央銀行のバランスシートの規模に制限を付ける方が望ましい。だからこそ中央銀行は主に金融システム安定性の維持に専念した厳しい任務規程の下で活動するのだ。

44. 中央銀行の役割の制約を巡る論争の中で二つ問題が注目される。一つは、銀行規制と資本課税が相補的な性格だということ。もう一つは、ヨーロッパの現行制度設計の欠陥でこれがあらわになってきていること。EUは歴史的前代未聞な国家無き通貨を大量に作りだそうとしている。

45. EU通貨統合時の前提は、中央銀行は政治的コントロールから独立すべきであり、唯一の目的は低インフレを目指すことであると考えられていた。しかし、2008年危機により、中央銀行は経済危機において重要な役割を果たさねばならないという風に変わった。ただし、中央銀行は無限にお金を作る力を持つので、厳しい制約条件下で行動すべきとされた。

46. 理想社会においてどのくらいの公的債務水準が望ましいか?この問題について何らかの黄金則があるわけではない。

47. しかし、ヨーロッパではEU加盟国の財政赤字をGDPの3%以下に抑え、公的債務総額はGDPの60%以下にとどめるべきと定められた。これは国家無き共通通貨を作るという決定の避けがたい結果。加盟国の負債をプールせず、財政赤字で強調することがないならどうしてもこうなる。

48. 歴史的に私たちは債務が公的財政にかなり重圧をかける時代にいる。だからこそなるべく早く債務を減らすべきだし、その手法は民間資本に対する累進的な1回限りの課税課、インフレによるべきだ。

49. もう一つ重要なのは21世紀に起こりうる自然資本の劣化だ。世界的観点から、これこそが世界の主要な長期的懸念だ。

50. 今後、財産の新しい形態や、資本への新たな民主的コントロール形態を開発する必要がある。そして本質的な点は、参加者それぞれへの経済情報の提供が必要ということ。こうした透明性が民主的ガバナンスには不可欠だ。

 

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

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