浅沼宏和ブログ

2017.08.04更新

第4章 古いヨーロッパから新世界へ

1. イギリス、フランスのたどった軌跡とドイツの軌跡を比べると興味深い。全体的な推移が似ている。農地が長期的には住居用・商業用不動産と産業・金融資本に取って代わられている。

2. 19世紀後半、ドイツでは農地が重視されていたのでイギリスよりはフランスに似ている。産業資本の価値はフランス、イギリスより上。対照的に一次大戦直前のドイツの外国資産はフランスの半分だった。

3. 過去数十年間には貿易黒字のおかげでドイツはかなりの外国資産を蓄積した。

4. 1930-1950年のドイツの平均インフレ率は約17%。物価はこの期間に300倍になった。20世紀のドイツはどの国よりもインフレで公的債務を埋めた国だった。

5. インフレ頼みのやり方は極端であり、とくに1920年代のハイパーインフレはドイツ社会と経済の安定を揺るがせた。ドイツ国民はこの経験のせいでひどいインフレ嫌いになった。

6. イギリスはインフレに対して柔軟な姿勢を見せている。

7. 公共資産の蓄積についてもドイツはフランスに似ている。

8. 1950-1980年、ドイツの純公的資本は国民所得の1年分に近かったが、当時ごく低水準だった民間資本はギリギリ2年分だった。

9. 1970年以降、経済成長の伸び悩み、公的債務の累積により2010年には純公共財産はほぼゼロ。1950年以来着実に増加していた民間財産が国富のすべてを占めるようになった。

10. ドイツの民間財産は第二次大戦以降すさまじく増加していった。

11. 1944-1945年の大規模空爆でフランスでは国民所得のおよそ1年分、ドイツでは1.5年分の資本が破壊された。

12. 1913-1950年の資本/所得比率のすさまじい下落を説明する主な要素は二つ。①外国ポートフォリオの崩壊と貯蓄率の低さ ②企業の混合所有と規制による資産価格の低さ。

13. 経済成長の低迷、度重なる不況のせいで1914-1945年はヨーロッパの暗黒時代だった。特にベル・エポック期と比べて所得が激減した富裕層にとって厳しい時代だった。

14. 1930年代の大恐慌では株主や債券保有者の多くが破たんした。さらにわずかな民間貯蓄の大部分は膨大な財政赤字に吸収された。

15. 1913-1950年の資本/所得比率の減少は特にヨーロッパの資本家たちの安楽死の歴史だった。これは資産の市場価値とその所有者の経済力をそぐという狙いがあったためだった。

16. イギリス、フランス、ドイツの第二次大戦後の不動産価格と株価の低さの原因の多くは数量効果(国民貯蓄率の低さ、外国資産の損失・破壊)によるものだった。

17. 1970、1980年代とりわけ1990、2000年代の不動産・株式市場価格の回復は非常に強く、今度は成長率の構造的減少という数量効果の影響が大きかった。

18. 新世界の米国は旧世界のヨーロッパに比べて資本があまり重要ではなかった。1人あたり土地面積は古いヨーロッパよりも北米の方が明らかにずっと多かった。だから1人当たり資本はヨーロッパより北米の方が明らかに多かった。

19. 米国の資本/所得比率は低かった。ヨーロッパで総資産が国民所得の7年超であったのに対して米国ではかろうじて3年分だった。これは米国では地主の影響力と富の蓄積があまり重要でなかったことを示している。新世界に来た人たちは2-3年で裕福な先行者たちとの間の初期格差を埋められた。

20. 米国は資本主義になっていったが、米国の広大な領土を全体的に捉えた場合、ベル・エポック期のヨーロッパに比べ富は相変わらず影響力が小さかった。

21. 20世紀の各種の打撃もヨーロッパに比べて米国でははるかに弱く、資本/所得比率はずっと安定していた。

22. また米国では外国資本はずっとたいして重要ではなかった。だから米国は一度も植民地大国になったことがない。

23. 逆にヨーロッパの市民は世界を所有することに慣れていたため第二次大戦後の復興の一部が米国のマーシャルプランによるものだという考えにいら立ちを覚えていた。だが、米国による投資はかつての植民地大国による投資に比べればごく限られたものだった。

24. カナダでは事態は違う展開を見せた。国内資本のかなりの部分をイギリスを中心とした外国の投資家が所有していた。特に天然資源部門でその傾向が顕著だった。

25. 二回の大戦で状況が変わった。ヨーロッパ市民が外国資産を手放す流れが続き、純対外債務は1990年には国内資本の約10%だった。現在、カナダの状況は米国とよく似たものになっている。

26. ヨーロッパと米国の資本の変化を考えるには奴隷制の問題が大きい。奴隷制度に基づく富の集中は最も大きな意味を持っていた。

27. 18世紀後半、19世紀前半は奴隷の総市場価値は米国の国民所得のおよそ1.5年分に相当し、これは農地の総価値にほぼ等しかった。

28. 奴隷を富の構成要素と見てその他の富と合計すると国民所得の4.5年分であった。

29. 奴隷の価値を加えた南部諸州の資本価値は所得6年分を超え、イギリスやフランスの資本の総価値に匹敵した。一方、奴隷のいない北部では富の総量は非常に少なかった。資産はせいぜい所得の3年分だった。米国では正反対の二つの現実が混在していた。

30. 格差をめぐる複雑で矛盾した関係は現在の米国にも根強く残っている。一方で平等を約束して恵まれない数百万の移民に機会をもたらす国でありつつ、他方では人種に関して極めて残酷な格差が存在し、その影響がいまだに見える国となっている。

31. 奴隷がもたらす利益は非人的資本の1.5倍に相当する。奴隷の価値を資本価値に加えると国民所得20年分になる。年間所得フローの総額と算出の5%が資本化されるからだ。

32. 実際、南北戦争以前の米国では奴隷の市場価値は一般的に自由労働者の賃金10-12年分に相当していた。

33. こうした事実から21世紀における主要な資本とは人的資本であることが示される。これは特に驚くべき結論ではなく、労働所得のフローを資本に対する所得フローと同じ比率で資本化して考えれば人的資本の価値はその他のあらゆる資本の価値を上回るに決まっているからだ。

34. しかし、人的資本ストックに値段をつけることに意味があるのは奴隷社会だけ。ここに矛盾がある。

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

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