浅沼宏和ブログ

2017.08.03更新

第3章 資本の変化

1. 19世紀の古典小説の世界では富とは土地か国債のどちらか。

2. つきつめれば国債とは国民のある一部が別の一部に対して持つ請求権に過ぎない。

3. 18-19世紀を通じて1914年までは国民資本の総価値は国民所得の6-7年分の間で推移している。

4. 過去1世紀に見られるのは見事な「U字曲線」。資本/所得比率は1914-1945年に3分の2近くに減少し、1945-2012年には倍以上に増加している。

5. 結局、2010年には資本/所得比率は第一次大戦以前の水準に戻った。

6. 超長期で見ると農地がだんだんと建物、企業資本、企業・行政機関に投資された金融資本に代わられつつある。

7. 国民資本=農地+住宅+他の国内資本+純外国資本

8. 18世紀、農業はすべての経済活動・雇用の約4分の3を占めていた。それが現在では2-3%にすぎない。

9. 農地の価値の暴落は住宅価値の上昇やその他の国内資産の価値の上昇で埋め合わされている。

10. 資本の性質は変わった。かつては大部分が土地だったが、いまでは住宅と工業資産、金融資産になった。だが資本の重要性は相変わらずだ。

11. イギリスから外国に資産が大量に蓄積されはじめたのは19世紀で、この時に最も資金が蓄積された。多くの植民地を有するフランスも同様だった。

12. イギリスとフランスの純外国資産のポジションが高かったため、19世紀後半と20世紀前半に構造的な貿易赤字を出すことができた。

13. この時期、イギリス、フランスは外国資産による総収益が国民所得の5%超に相当したため、国際収支が大きくプラスとなり、外国資産を毎年増やせた。

14. 植民地を併合し、外国資産を蓄積する目的は、貿易赤字をだせる立場に立つことにあった。

15. 二度の大戦、大恐慌、非植民地化などの打撃で外国資産の膨大なストックがやがて消滅した。

16. 現在、イギリスとフランスの1人当たり国民所得は年3万ユーロ、国民資本は国民所得の約6倍で1人当たり約18万ユーロ。

17. 現在、公共資産の総価値はイギリスは国民所得1年分、フランスではその1.5倍。イギリス、フランス共に公的債務はほぼ公共資産とほぼ同じ。つまりトントン。

18. 2010年の民間資産ではイギリス、フランスともに国富のほぼ全額を占めている。

19. フランス、イギリスは民間財産の規模を根本的に変えるほどの巨額の公的債務を抱え込んだことはない。

20. イギリスは過去二回、ナポレオン戦争末期と第二次大戦後に公的債務の高い水準に達した。

21. イギリスは高い水準の公的債務を抱えたがデフォルトを起こしたことはない。デフォルトを起こさない場合、巨額の公的債務返済には非常に長い期間がかかる。

22. ナポレオン戦争期の公的債務を財政黒字によって減らすのにほぼ1世紀かかった。

23. 公的債務の水準の高さはイギリスの民間財産の影響力を強めた。19世紀初頭の公的債務増加を支えたのは主に民間貯蓄の増加だった。当時、国民資本は国民所得の7年分の水準で安定していた。一方、民間財産は国民所得の8年分超だった。

24. 当時、公的債務の水準の高さは貸し手にとって都合がよかった。無償で税を納めるよりも、国に貸し付けて数十年に渡って利息を受け取る方が有益だった。

25. 19世紀は政府への貸し付けの報酬が高かった。インフレは事実上ゼロで国債の利率はおおむね4-5%だった。

26. 19世紀のイギリス政府の財政基礎収支は常に相当の黒字だった。

27. イギリスの公的債務の減少には1世紀近くかかったが、それはイギリスの国内生産と国民所得の成長のおかげだった。

28. 20世紀の公的債務の減少はインフレに埋もれた。

29. インフレによる再分配はイギリスに比べてフランスで大規模だった。

30. インフレによる再分配のメカニズムはきわめて強力で、イギリスでもフランスでも20世紀に重要な歴史的役割を果たした。

31. インフレのメカニズムは永久には続けられない。高インフレは常に加速しやすく、勢いがつくと止めるのが難しくなる。1970年代のスタグフレーションがその例。

32. リカードの等価原理:「ある状況下では公的債務は国民資本の蓄積に影響しない」。現実に公的債務の増加は民間貯蓄の蓄積で賄われていたようだ。

33. イギリスの公的債務は国富に目に見える形では影響を与えない。ある集団が別の集団に対して王再建を示すにすぎず、それをはっきり認識していた。

34. 公共資産の総価値はフランス、イギリス共に長期間をかけて増加し、18、19世紀にかろうじて50%程度だったものが20世紀終わりには100%に達した。

35. 国家の歴史的・経済的役割が拡大。特に保健医療・教育分野そして広範な公共サービスの発展、交通・通信分野への投資。

36. 産業・金融部門での莫大な公共資産の蓄積、これら資産の民有化の大きな波。

37. 1929年10月に始まる大恐慌は富裕国にその後も例を見ない激しい痛手を与えた。米国、ドイツ、イギリス、フランスの労働人口の4分の1が失業した。経済に対する伝統的「レッセフェール」主義の信用は落ちた。

38. フランスでは1945年以降、民間の資本主義に不信感を抱く傾向が強まった。経済の主要部門の多くが国有化され、1950年には政府は国富の25-30%を所有していた。

39. フランスの歩みの特徴は1950-1980年に栄えた国有化が1980年以降とても低い水準に下落したこと。民間財産(金融財産、不動産)はイギリスより高い水準に上昇した。

40. 1950年以降の国家資本主義の時代を経てフランスでは私有制資本主義に移行した。

41. こうしたフランスの変化は明確には認識されていなかった。財・サービスの市場開放、金融市場と資本移動の規制緩和を含む経済民営化は1980年代に世界中に影響を与えた。

42. 1970年代の「スタグフレーション」は戦後のケインズ的コンセンサスの限界を示した。そして米英の1979-1980年「保守革命」が起きた。

 

 

 

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

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