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2020.08.27更新

日経新聞などを見ていると、最近、SDGsのフォーラムなどが多数開催されるようになりました。SDGsはCSRの最新版という理解が一般的かもしれません。

私は2004年からCSRに関心を持ち、コツコツ調べてきましたがSDGsとCSRの間に断層があると感じています。同行の背後に大きな力学上の変化を感じます。

2003年は日本の「CSR元年」と呼ばれた年でした。単純にこの年に日経新聞記事でCSRという単語が前年までの10倍近く紙面をにぎわすようになったためです。

私は2004年ぐらいから各企業から出されるCSR報告書も取り寄せたりしていましたが、その内容はほぼほぼ「環境報告書」でした。企業の広報やIR担当者などが外部の広告会社と相談しながら作成していたようで、どの会社の報告書も型にはまったものでした。

ビジネス社会にCSR意識は高まりませんでしたので、CSR報告書を欲しいという人が少なく、一個人である私が企業に頼むとどの企業も喜んで資料一式を郵送してくれたものです。

実は日本はCSRについては海外とちょっと違った歩み方をしてきました。90年代に環境省が環境報告書作成のガイドラインを出したため、それに則って報告書を作成し、IR関連資料として公表する流れになりました。

しかし、企業の経営者からすればCSRは単なるコストなので、ほぼほぼCSR部門に丸投げされ、稼ぐ部門からは突き上げられるという愚痴をCSR部門の人から聞く機会もありました。社内におけるそうした不遇の状況もあり、「CSRなんかに興味を持つ奇特な人」であった私に各社が喜んで資料を送ってくれたのだと思います。

2000年代にはSRI(社会責任投資)というプチブームもあったのですが、結局「儲からない」という理由であだ花に終わりました。その後、10年以上、日本のCSRは「儲からない」⇔「社会貢献」という対立軸で停滞し続けました。

実は欧米では2000年代半ばからESG(環境・社会・ガバナンス)という考え方が登場し、「グローバル企業が長期的に存続しようとするなら100年後にも地球が健全に存在していなければならない」という株主に対する受託者責任の内容の変化が起きていました。

年金基金などの機関投資家は短期の企業利益を上げることよりも、長期的な安定収益をハッキリ志向するようになり、経営者の短期的な利益志向にもはっきりクギを刺す流れが出てきました。

ポイントは長期的な利益が関心の中心であり、「地球社会の一員として立派に振る舞う」ことが主目的ではないということです。ですから、新自由主義的なフリードマンの経済理論、効率的市場仮説やポートフォリオ理論などのファイナンス理論とは全く異なる視点による投資行動が注目されるようになりました。あくまでも新たな収益獲得の物の見方という位置づけが強いわけです。

そして、大きな転換点となったのがリーマンショックで、日本の大手企業の多くが経費削減に集中する一方、欧米のグローバル企業は「長期的な将来に儲けを出すための必須の投資活動」としてCSRを位置づけて取り組みを強化していました。つまり、CSRが民間主導の側面を強めたわけです。その一つの区切り目がSDGsです。

SDGsは2015年に発表されましたが、日本の企業はほとんど反応しませんでした。後日、国が言い出し、経団連もガバナンスコードを改定するなどして、その様子を見た企業が「なんだかわからないけれど大変だ」という感じでいきなり注目を浴びたという背景があります。

SDGsの本質はこまごまとしたガイドラインの解釈にあるのではなく、その背後での起業、機関投資家、NGO、国際組織、国家の力学の変化にあります。その力学の理解がないままに、社会貢献を前面に出すのは本末転倒で、本質的には超長期における自社の利益創出モデルの外部発信と考えるべきかと思います。

新たな物の見方の登場した背景の力学を理解すれば、どう振る舞うべきかが見えてくるように思います。

投稿者: 株式会社TMAコンサルティング

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